翻訳

ドイツ戦車8分解説 戦間期『軽戦車』編


 皆さんこんにちは、ヘルニアです。


 今回はドイツ戦車8分解説戦間期の軽戦車を中心に、ズバッと解説していきたいと思います。

ブログランキング参加中 応援お願いします。

ベルサイユ条約とグデーリアンの装甲師団構想


 まず『戦間期』というものを説明させていただきますと、第一次世界大戦が終わり第二次世界大戦が始まるまで戦争の間の期間を指します。

 ドイツ戦車はこの期間に、最初の量産車となる『一号戦車』等を開発・生産することになるのですが、そこには大きなポイントが2つあります。



 一つはベルサイユ条約で、戦車の研究を禁止されていたことです。


 ヴァイマル共和制(1919年~1933年)時代から再軍備は進められていたのですが、ベルサイユ条約があるため表立っての戦車研究は行うことができません。


 したがって、秘密裏戦車開発は進められることになり、ドイツ初期の試作車両(クライントラクトア等)や一号・二号戦車には『○○トラクター』といった秘匿名称がつけられています


 その秘密裏の研究に手を貸したのが、スウェーデンソビエト連邦です。


 というのも、今でこそ戦車といえばドイツ軍といったイメージですが、既に作られていた独戦車で代表的なものといえばA7Vぐらいのもの。


 乗員18名という、今から考えればとんでもない第一次世界大戦での戦車なんですが、これの生産数はわずか二十数輌


 実際に敵対したイギリスの戦車、マーク.Ⅳ(生産数約1000輌)に比べると、まだまだドイツには大量生産のノウハウはなかったと考えられます。


 スウェーデンからは兵器の情報や鉄資源の供給を。ソ連からは軍事訓練と研究のための、合同演習地(カザン)を提供してもらい、独戦車の研究開発が進んでいきます。


 そしてポイントの2つ目が、グデーリアンの装甲師団構想です。

 超ざっくり言うと「15t級の主力戦車(後の三号戦車)と、18t級の支援戦車(後の四号戦車)を中核として運用する」という、将来の戦車開発・運用のビジョンがあったのです。


 しかし先にも述べたように、ドイツにはまだ大量生産のノウハウがこのときにはなく、作る企業側にしてもそのような経験はありません。

 そこで生産、また実際に乗る兵士の訓練用の戦車として、一号戦車が開発・生産されていくことになります。




スポンサーリンク