対ソ戦開始
1943年2月4日。準備が整ったので、一気にソ連領内に5万ものティーガー戦車が突撃を開始します。
制空権は言わずもがな劣勢(当たり前)ですが、ティーガーの人海戦術で山だろうが川だろうが強引に突破。
旧東ポーランドで50個師団近くを包囲(なおこの戦い一切手動操作はせずAI攻勢のみ)し、ウクライナ方面は大分スカスカになります。
一方空軍を敵が配備してこなかった北部も順調に進撃し、レニングラードへ。
問題は集中的な空軍配備、また比較的多めの軍を配置した結果、補給が厳しい中央部は、進撃が鈍い状態でした。
一応インフラを建てつつ進ませていますが、ティーガーの数による積極的侵攻の方が早く、民需工場700ほどあっても追いつきません。
ここから見えてきたこととして、物量押しは一定の効果は収めつつも、やはり『兵站』という点では重戦車も適量を投入しないと進軍が鈍化するということが良く分かります。
とはいったものの、最後は追い越し、または包囲殲滅を繰り返したことで中央アジアではもうほぼ無人。
ソ連はおおむねウラル以西を全て取れれば降伏しますが、降伏したのはバルバロッサ作戦が終わる数日前の7月30日でした。(約6か月)
AI攻勢で空軍なしだったとはいえ、これだけの物量をもってしても意外とギリギリで目標達成です。
まとめ
ということで、本日はティーガーを5万輌投入し、対ソ戦を速攻で終わらせられるのかの検証でしたが、いかがだったでしょうか。
サラッとカットしていますが、重戦車は中・軽戦車のようにそこまで足は速くない(弱騎兵程度)ので、最高速度などを改造し、ぎりぎり六か月以内の勝利となっています。
ここで結果をまとめさせていただきますと、
結果:物量戦はやはり効果的。ただし補給が死ぬ場合があり、インフラの改善が望まれる。
というのが今回のまとめです。
よく陣営戦などの高IC戦(かつある程度内政が組める)戦いでも、インフラや航空基地・レーダー等の建設が急がれる場合があります。
それは戦車の天敵である補給を改善したり、空軍的な優位性を得るために飛ばす基地が必要などのためです。
今回の記事で、装備の大量運用のための内政また拡張について。
またインフラ関係の重要さについてを知っていただけたのならば、幸いです。
といったところで今回はここまで。ご一読ありがとうございました。よろしければツイッターのフォロー、記事の拡散などしていただけると励みになります。