京都・北陸率いる日本海側の同盟
大国、愛知も倒した。大阪も四国も手に入れた。東京埼玉千葉群馬と関東も併合した。
日本統一のため、もう敵はいないかといえばそうでもなく、まだまだ勢力が残っています。
特に、福島を除く東北は北海道も招き入れ、強固な同盟を築き上げていました。
これを倒すには、富山新潟を併合して大国と化した石川県を倒し、インフラ設備を整えてから行く算段でした。
しかしここで、予定になかった北陸と京都が急遽手を組み、200個近くいる京都の師団が関西になだれ込みます。
これまた完全に予定外だったため、そちらに予備の歩兵師団を向かわせ、まずは横に長い北陸を先に物量押しでたたきます。
そして対関西・群馬戦との違いは、戦闘機と支援機を量産できる体制に横浜はなっていました。
これにより、完全な制空権優勢の中で戦うことができ、弱点であった陸空軍の弱さを取っ払たといえるでしょう。
また潤沢な民需工場を使い、京都方面のインフラと空港を設備。
最初こそ不意を突かれて大阪、和歌山・奈良等を京都に占領されましたが、北陸を併合してからは兵を大きく二分する必要は無くなり、一気に京都へと迎えるようになります。
ついでに中国地方を統一
京都での勝利が確信できるころ、横浜は兵庫、岡山、鳥取……山口にかけて、順次正当化して攻めていきます。
これも、ファシ化のおかげで正当化時間が短くなっているため、この際一気に中国地方まで行ってしまおうという算段でした。
兵庫こそ師団数もおおく、地形も厳しいため多少てこずりましたが、兵庫から先は陸空軍の物量で押しつぶし。
少し歩兵師団を改良して、歩兵8砲兵2重対空2の24幅師団(もちろん重対空もこのころには2型になり始めている)で、追い越しと包囲殲滅を連打していきます。
言わずもがな、重装甲を相手はぶち抜けるはずもなく、バタバタと撤退。
この戦いにより北陸~中国地方にかけてを、横浜は統一いたしました。
残りの敵は東北と北海道。九州と沖縄のみになりましたが、ここで都道府県でも難解な敵、海峡と戦うことになっていきます。